ストーリー

原点

毎日の生放送で鍛えた
「伝える」こと

私は、茨城県つくば市で育ちました。2012年、明治大学を卒業後、宮城テレビ放送に入社。アナウンサーとして7年間、ニュース、天気、災害報道、そして夕方の情報番組「OH!バンデス」のMCを担当しました。毎日の生放送から、発する言葉に責任を持つ大切さと伝えることで誰かのためになることの喜びを知りました。

学生時代

話すことが苦手だったからこそ抱いた、
「アナウンサーになりたい」

学生時代の私は、話すのが苦手でした。モゴモゴ喋るし、自分のことも上手く伝えられない。就職活動を目前にして話し方教室に通い始めます。そこで出会った講師の先生に憧れて、アナウンサーになろうと決めたました。私も「言葉で人の心を動かせるようになりたい」と思いました。

アナウンサー時代

上手くできないし、心配性。
だからこそ、準備の鬼に。

アナウンサーになってからも、試行錯誤の日々。自信がなくて、語尾がゴニョゴニョ⋯。だから毎日、1時間の発声練習。先輩にオンエアを見てもらい、何度もフィードバックを受けました。台本には何度も書き込み、ページが真っ黒になるまで準備を重ねることが、いつしか私のスタイルになっていました。

アナウンサー時代

野球場に届いた、私のはじめての夢

「OH!バンデス」では、楽天イーグルス情報を伝えるコーナーを担当。そのうち野球が生活の一部になり、観戦や試合チェックが日常に。気がつけば、仙台の局アナウンサーとして初めて、楽天イーグルスの始球式を務めていました。夢だったあのマウンドは、今でも心に残っています。

パリでの再出発

パリと世界とナレーション

退職後、パリへ移住。フリーアナウンサーとして再出発しました。語学学校に通いながら、現地企業や日本人コミュニティ、SNSを通じて仕事を開拓。イベントMC、世界遺産の音声ガイド、美術館ナレーション、WebCM…。やがて、国境を越えて声を届けられるようになりました。

帰国ー想いを軸に新たな挑戦

再び仙台へ。「やりたい」に正直に

帰国後、古巣での仕事を皮切りに、再び日本での活動がスタート。大好きなプロバスケットボールチームSENDAI89ERSのアリーナMCに、ロサンゼルスFCの場内アナウンス。挑戦してみたかった仕事に次々と取り組み、念願だった音楽フェスのMCの機会にも恵まれました。

コンサルティングファームへの入社

扉が開いたのは、
“新しい自分”に出会いたかったから

やっぱりスポーツの仕事は楽しい。そう思っていた時、スポーツと社会貢献に取り組むチームから声をかけていただきました。未知の世界でしたが、これは素敵なご縁だと思い再び会社員に。自分ならではの強みを見つけたいーーーと思いました

ビジネスにも活きた経験と新たな視点

ビジネスの現場で

初めての環境で大変なこともたくさんありました。アナウンサー時代に鍛えた準備力と吸収力を通じて、さまざまなことを学びました。「伝える」だけでなく「相手を動かす」。言葉の使い方の幅が広がって行く実感がありました。

スポーツとビジネスで得た学び

スポーツが教えてくれた、
社会と人に貢献すると言うこと

プロジェクトの中でSDGsという課題にも向き合いました。スポーツを通じて女性活躍推進や環境問題についての興味関心、そして知識を深めていきます。そして、自分自身も誰かのために。そんな思いが強くなりました。

等身大の現在地

声を育てる。
話すことを。もっと自由に

アナウンサーと会社員。どちらの仕事も続けながら、人のためになることをもっとしていきたいと思っています。私が(アナウンサーとして、会社員として苦労した私の経験を持って)皆さんに伝えることで、「話すって楽しい」と感じてもらえたら、とても嬉しいです。

これから

伝えることが、誰かの力になると信じて。

ビジネスを学び、社会の仕組みにも向き合うことで、もっと深く伝えるアプロートができている気がします。これまでの経験をフルで活かしながら、視聴者や聞いてくださる皆様のために一緒に考え、歩んでいきます。

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